2004年09月11日
夢 − 想像と夢想の線引き
私は、夢想家である。いや、正確には「夢想家であった」。
ちなみに、下の似たような言葉は、辞書では
想像 = 実際に知覚に与えられていない物事を、心の中に思い浮かべること。
夢想 = 夢のようにあてもないことを心におもうこと。空想。
空想 = 現実にはあり得ない事、現実とは何ら関係のない事を、
頭の中だけであれこれと思いめぐらすこと。
妄想 = 正しくない想念。転じて、根拠のない想像。
(『岩波 国語辞典 第5版』より)
と説明されている。
最近とみに寝付きが悪く放っておくと夜明けを迎えてしまうことが多く、困った末に思
いついたのが「夢想すること」だったのだが、やろうとして愕然とした。何も浮かばない
のだ。
子供の頃は、眠りにつくまでの30分〜1時間が私の夢想タイムであり、これはある意味
一日で最も楽しい時間だった。
とにかく、いろいろなことを夢想した(想像の域を軽く超えていたり、シチュエーショ
ンに年齢がおいつかない想像だったりしたので、やはり夢想が適当だろう)。まだしたこ
ともない恋の相手を思い描いたり、有名になった自分を思い浮かべたりした。もちろん、
お気に入りのアイドルと恋に落ちるお話は、自分がアイドルデビューして、とか、コンサ
ートのあとに出会う、とか、様々なパターンを取り揃えていた。それから、将来の自分。
大学生になって憧れの東京で雑誌でみた街並みを歩くところを想像した(ちなみに、小学
6年生当時の私の将来の夢は「東京に住む」で、その後18歳でこの夢はあっさり叶えられ
ることとなるのだが)。アナウンサー(これまたお約束のキー局の、ね)になった自分を
繰り返し夢想したのが仇になったのか、その夢を諦め切れずに就職活動に突入してしまっ
た私のその後の人生は容易にご想像いただけるところだが、確かめてみたいと思われた方
は、既発表の痛いコラム、「『負け犬の遠吠え』を読む前に」をご覧いただきたい。
話は逸れたが、まあ、以上のように一時は自分の異常性を疑ったほど大得意だった夢想
なのだが、なぜできなくなってしまったのか?
アイデアの枯渇か? 現実的になったからか? 悲しいけど、「大人」になっちゃった、
とか?
どれも当たりといえばそうだし、外れともいえる気がする。
たぶん、経験してしまったからだ。知ってしまったからだ。人生は思いどおりにいかな
いことの方が多いことを。わくわくするような偶然やチャンスなんて、そうないことを。
王子様なんて現れないことを。
いや、結局のところ、今の自分が情けないだけなんだろう。今の自分には希望が見えな
いのだ。現状からは楽しい未来を想像(創造)しようとしても紡ぎ出せない。どこかでつ
まづくのだ。どこからか「そんなわけない」という声が聞こえてくる。
なんだかカラカラになってしまった今の自分を変える方法は、まだみつからない。
何か明るい「答え」のようなものをお示しできなくて心苦しいのだが。
あらためて「想像」と「夢想」その他の違いを考えてみて、むかし自分が試してみた
「イメージ・トレーニング」にまつわるエピソードを思い出したので、蛇足ながら紹介さ
せてもらうことにする。
私は、最初の就職活動で「夢」だったアナウンサーになれなくて、実は学生の期間を延
ばして再挑戦したのだが(研究室のみなさん、そんな理由で進学して、みんなの研究の邪
魔をしてゴメンナサイ)、次の募集までの間、「どうして駄目だったのか?」「何が足り
ないのか(やっぱり顔か)?」などといったことをずっと考えていた。
そして、ふとTVのドキュメンタリー番組でスポーツ選手が言っていた言葉を思い出し
たのだ。「金メダルを取る自分の姿を何度も何度もイメージする、イメージトレーニング
をおこなっている」というものだったと思う。さっそく私は毎日イメージ・トレーニング
を実行することにした。
私は一生懸命、カメラの前でニュースを読む自分や、バラエティ番組の司会をする自分
や、お正月に振り袖なんか着ちゃう自分を・・・・・・。
「だから、それ、イメージ・トレーニングじゃなくて。」と突っ込みたくなる。
ご想像どおり、それが現実となることはなかった。
これこそ、「想像」と「妄想」の違いなのだ!
私のは「根拠のない想像」だから、いくらイメージしてもダメなのだ。スポーツ選手の
方々は、その競技において、過酷なトレーニングに耐え、技を磨いた上で、単にまだ経験
していない、つまり、まだ「実際に知覚に与えられていない」金メダル獲得などのシーン
を思い浮かべるトレーニングをなさっていたのだ。スポーツ選手のみなさん、申し訳あり
ません。私が浅はかでございました。
今も私はファンタジー好きで、ノンフィクションや伝記物を苦手としている。
愛読書は、ハリー・ポッター(原書で適当読み)である。
(了)
Harry Potter and the Philosopher's Stone (UK) (Paper) (1)
Harry Potter and the Chamber of Secrets (UK) (Paper) (2)
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (UK) (Paper) (3)
2004年04月05日
『負け犬の遠吠え』を読んで
『負け犬の遠吠え』を読んで 西園寺 負け犬 歌名
前回宣言したとおり、今回は読後コラムである。
読んだあとの衝撃が大きくて(というか、へこみ具合がひどくて)、
遅くなってしまった。
ごめんなさい。。。
新ジャンル(?)である「読前コラム」を試してみた『負け犬の
遠吠え』(著者:酒井順子さん)だが、読後の感想は一言、
「ヤバい・・・」だった。「なんか面白そう」と思い、読むのを
楽しみにしていたのだけれど、私はどうやら甘かったようだ。
この本については、感想をWEBで発表している方は結構いらして、
中には、「痛くて笑える」というようなことを書かれている方も
あったが、私の場合、正直、かなり焦りを感じた。
というのも、酒井さんは「30代後半の負け犬」としての自身のご意
見を書かれてもいて、そこここに、「気付くのが本当に遅すぎるの
ですけれど」というフレーズが出てくるのだ。そして、30代前半の
「後輩負け犬」に対して「今のうちに焦ったほうがいい」といった
ことをおっしゃっている。このことが私をじわじわと焦らせ、自分と
酒井さんの状況を比べたとき、その焦りがさらに増幅したのだ(BGM
は「ジョーズのテーマ」でお願いします。古いですが)。
酒井さんによれば、「30代以上、未婚、子ナシ」の条件に当てはまる
女性はみな「負け犬」に分類されるのだが、その多くは、「高学歴、
高収入」で、そんなにモテないのでもなく、むしろ若者文化にも精通し
ている女性のようなのだ。
「負け犬」のメインストリームである「高学歴、高収入のかっこいい
独身女性」である酒井さんでさえ、早く焦るように、と私たち30代前半
のキャンキャン吠える負け犬に言っておられるのだ。
先日、短期契約で請け負っていた仕事もなくなり、とうとう無収入と
なった私には、数年後に訪れるであろう現実は、脅威というほかない。
そう、酒井さんはご自分の置かれた状況を「負けと認め」ていらっしゃ
るけれども、「別にそれでもいいじゃない?」という声が同時に行間
から聞こえてくるような感じがするのは、そして負けを認めるとおっ
しゃっていても、別に悲壮感など漂っていないのは、やはり酒井さんに
「経済力」という燦然と輝く屋台骨があるからだと思うのだ。
私などから見たら、やっぱり「かっこいい」のだ。酒井さんは、ご自分
の好きなことを職業にしておられ、それに「経済力」がついてきている
(ように見える)。「ははーっ」と言いながら、その後光の差すお姿を
崇めずにはおれない……。
ぜひとも「負け犬」に分類される方々に聞いて回りたい。この本を読ま
れた感想を。
たしかに、経済力のある負け犬のみなさんも「今は大丈夫だけど、老後を
考えると、ねぇ。私だって不安よ」とおっしゃるかもしれない。でも、
私のように経済力のない負け犬のみなさんの感想は、きっときっと違うと
思う。
私も、今の自分に経済力があれば、この本を読みながら「あはは。いたた
た」とかなんとか言って笑えただろう。本を閉じた後も「そうよねーっ」
なんてお酒を飲みながら負け犬仲間と話をすることもできただろうと思う。
でも、でも笑えないのである。ひたすら、怖い。「ヤバい、ヤバい。一刻も
早くなんとかしなくては……」という思いが、本を閉じた後もついてくる
のだ。だって、読めば読むほど自分が生きて行く道が見えなくなっていくの
だもの。「なんとかなるかも(?!)」という甘い考えが、打ち砕かれてしま
うんだもの。
世の「低収入」の負け犬諸君!
この本は、面白い。興味深い。
でも、諸君のうち何人かにとっては、この本は、ホラーであると私は思う。
そして同時に、福音書でもあるのではないかと思うのだ。
30歳を過ぎてもひとりでいることを「普通でない」と言ったり「早く結婚した
方がいい」と言う人は、減ってきている。言えなくなってきているのだ。だか
ら、私たちはそういった聞きたくない言葉を聞かせる人に会わずに年齢を重ねる
ことがしやすくなっているのだ。それは心地よい。でも、そうやって過ごす時間
は、手遅れにむけての時間かもしれないのだ。
それを、この本は教えてくれたように思う。
経済力を持つよう、これまで以上に必死になって働き、少しずつでも貯金をする
ことに腐心するか、早く勝ち犬になるよう努力するか。それを早目に考える機会
を、いま敢えて与えてくれた『負け犬の遠吠え』。
ま、もっとも、酒井さんはそういう意図では書かれていないかもしれないんだけ
れど。
(了)
2004年02月28日
『負け犬の遠吠え』を読む前に
『負け犬の遠吠え』を読む前に 西園寺 負け犬 歌名
前回は、阿川佐和子さんの著書を読んでの感想を書き散ら
してみたが、「一人でいること」を考えるシリーズ(と勝手に
命名)の第2弾として、今日は「負け犬」を題材にしてみたい
と思う。
最近、この「負け犬」という言葉をよく目にする。
酒井順子さんの著書『負け犬の遠吠え』で言われるところの
「30代以上、未婚、子供なし」の女性の代名詞だというが、
まだ読んではいない。
「負け犬」の私は、さっそくこの本を買うことに決めたのだが、
敢えて読む前に、雑誌やネットでみつけた感想などからの
少ない知識を元に考えたことを書いてみようかと思い立った
のだ。
さて、私(負け犬)の感想が読後に変わるのか変わらないのか
・・・・・・。
どんなに美人で仕事ができても、定義に当てはまる女性は
負け犬で、むしろ「高学歴、高収入」で自立を意識する女性
ほど負け犬になりやすいのだそうだ。
30代以上、特に30代といえば、少女時代を「男女平等」になり
始めた社会で過ごしている方が多いのではないだろうか?
そして、今「負け犬」にカテゴライズされる女性の多くは、
そういった「男女平等」の社会を自分の腕っぷし(この場合、
学力であるが)だけでちゃんと勝ち進んできたのではないかと
思う。
この「腕っぷし」だけで勝ち残れていた社会=教育の場から、
いわゆる「社会」に出るときにも勝ち残った女性が「高学歴、
高収入」の負け犬王道グループに入るのではないかと私は考え
る。
私の場合、途中までは勝ち組だった。もちろん、「女としての」
勝ち組ではない。「腕っぷし」で勝ち進んでいた。
夢ばかり見ていた少女は、その夢が叶わないものだと知らされ
るまで現実を見ようとしなかった。悪いことに、それまでの
希望はほぼすべて現実となっていたし、少女はますます「腕っ
ぷし」を磨いて、夢に近づいているつもりにさえなっていた。
就職のとき、神様はほとんど初めて、少女の夢を叶えてくれな
かった。そして少女は「なるべく希望に沿う仕事を」「やりた
いことを仕事に」という基準で転職を重ね、「高学歴、(なの
に)低収入」になった。
私はこのとき、すでに「負け」を認めている。結婚も考えた。
でも、そんなときに結婚したい女からは男性は逃げる(と逃げ
られた理由を分析したのだが、真偽のほどは分からない)。
「勝ち犬」になるためのチャンスもあったのになれなかったの
は、女としての魅力がなかったからか、それとも負けの認め方
が甘かったからか。
まずい。酒井さんが指摘される「負け犬」女性よりも、まずい
かもしれない。
さあ、これから本屋へ行って『負け犬の遠吠え』をGETするぞぉ!
そして、特に「負け犬」から脱出する方法を、読みたいと思う。
果たして、そこに私のための答えはあるのか・・・・・・?
(了)
2004年02月26日
エッセイ 西園寺 歌名
最近、阿川佐和子さんのエッセイ本を拝読した。
わけあって1か月前から新幹線通勤をしているのだが、
そろそろ眠って過ごすのにも飽きたある朝、通勤時間に
読む本はないかと、ふと思ったのだ。
しかし、私は既にホームに立っていた。ここから近くの
本屋まで行こうとしたら、確実に乗り遅れる。
次の新幹線は30分後だ。
田舎の、しかも新幹線のためだけの駅なので、駅ビルなど
というものはない。
万事休す。
また眠るしかないのか・・・。いやいや。何か読みたいのよぉ。
いったんそう思ってしまうと止まらない。
「久しぶりに赤川次郎でも買うか?」と、KIOSKをのぞく。
グルグルまわる小さな書棚(?)に80冊程度の単行本が
並んでいる。
自己啓発系、推理小説系、マンガ。。。
その中の、厚さといい装丁の色合い(イラスト)といい、
控えめだけどちょっと気になる1冊が、かの阿川佐和子さんの
『いつもひとりで』だった。
「ちょっと痛いかなー」と、読後に落ち込む自分を想像して
迷ったが、そこへタイミングよく、「列車がホームに入ります」
とのアナウンス。自虐的な気持ちになりながらお金を払い、
すぐさま自由席待ちの列に並んだ。
32歳を過ぎても結婚もせず、予定もない。もう縁がないのも
厄年のせいにはできない自分の胸に、さぞやグサグサと
刺さるお言葉が並んでいるのだろうと覚悟してページを
繰ったのだが、品川駅に降り立ったときには、なんだか
すっきりしていた。
結婚願望が強く、いつかは自分にも相手が現れて結婚する
のだから、なんだかんだ言って仕事はそれまでのもの、と
考えておられたという。
ところが、いつまで経っても、その相手は現れない。割と
お若いころからお見合いもなさったらしい。
でも、現れない。何年も。
「いまでもひとり」ということを随所に書かれているのだが、
その状況をカラカラと笑い飛ばしておられるのが気持ちいい。
そこには自嘲の色は微塵もないのだ。
今も結婚を諦めるなんていうことはなく、でも、おひとりの
生活を満喫していらっしゃる感じがする。
ああ、そうなんだ。
肩の力を抜いて、周りの状況に焦らされることなく、自分と
相談しながら生きていればいいんだ。
もしかしたら、結婚しないかもしれない。でも、恋愛は出来る
かもしれない。いい仕事にめぐり合えるかもしれない。ひとりの
楽しさを、縛られることのない生活の豊かさを実感することが
出来るかもしれない。
「他の人と比べない」とはいっても、あんまり目標をひとつに
決めすぎて前だけを向いていても、失敗したときが怖いことは
私も就職活動で知った。数年引きずったもの。
だから、「絶対に結婚しなくちゃ」とか「ううん。(こうなったら)
私は仕事に生きる!」なんて決めなくてもいいんだ。
でも、「いつの間にか時間が過ぎて、おばさんになっちゃった」
というのだけは避けたい。
何か、「あのときはこれに夢中だった」「あれを学んだ」と、
小さなことでもいいから言えるような時間の過ごし方をしたい。
今の私はきっと、具体的な目標(目的)を持ってガチガチに
計画遂行に向かっていくときではないのだろう。
阿川さんは、そんなメッセージを伝えようとなさっていたのでは
ないかもしれないが、私の目を少し大きく開かせ、また勇気
付けてくれたことは間違いない。
しかし、KIOSK。あなどれぬ。
きっとあの場所でなければめぐり合えなかったろう。
あまりにもたくさんの本が並びすぎると、途中で目移りしすぎて
かえっていい本への道のりが遠くなってしまうものかもしれない。
(了)